実家依存症を知らしめる目的で作成したブログです
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久々の更新です

久々の更新です。
実は何度かこのブログをチェックしてるのですが、
どうしても過去のことを思い出してしまい、
なかなか更新ができません。
僕にとってトラウマのような経験で、正直、過去に蓋をしてしまいたい
もう見たくないと思い、ついつい更新も避けていました。

いろいろとコメントを頂いております。
すこしづつでもコメントをお返ししたいと思っております。

渡部陽一さんのテレビ番組を見て

一昨日、渡部陽一さんがテレビ番組に出演していました。
渡部さんの独特な喋り方が、正直僕は好きではありません。ごめんなさい。
カメラマンではなくコメディアンじゃないか、そう思っていました。
しかし、最近、少しづつ渡部さんに興味を抱くようになりました。

僕はよく知らなかったのですが、渡部さんの独特な喋り方は、
ご本人が番組で曰く、仕事柄、言葉の通じない国でジェスチャーと単語でゆっくり伝える事が体に染み込んでいる、とのこと。それにしても独特な語り口だなぁと思います。

渡部さんが、体育館で子供たちに講習会をされている場面になりました。
身振り手振りで、独特の抑揚でもって子供たちに語ります。
そして子供たちが固唾を飲んでその話に聞き入っています。
伝えたい事がはっきりしていて、それをゆっくり確実に伝えたい強い気持ちを僕は感じました。
そこに子供たちも引きつけられていたのではないだろうかと。

渡部さんは言われます。
「戦争で一番の犠牲者は子供たちだ」
それを人々に伝えたいから戦場に向かい、写真をとるのだ、と。
またバラエティ番組に出演する事ででも、それを伝える手段を選ばない、と。
今でもバラエティ番組に出演する中で渡部さんは戦場に向かっています。
戦争で苦しむ子供たちがいつか居なくなる事を強く願いながら。

まだ産まれて間もない息子と戯れる渡部さんが映りました。
こぼれるような笑顔で息子を抱いて、こう言います。
「子供と一緒の時間が一番、ホッとする」

僕は番組を見ていて無言になってしまいました。
街で息子と同じ年頃の子供を見ると心が折れます。
テレビで見てもそうです。
特にお父さんに抱かれて嬉しそうにしてる子供が映っているのを見ると、
目を背けたくなります。
こういう時、全国に心の折れた同士がテレビの前で固まってると思って
気を紛らわせています。。。

離婚の理由21

妻が出て行ったその日の午後、僕の両親がやってきました。
元々、その日、両親は来る予定でした。
しかし、電話で事情を話して心配した両親は、妻と子供がでていったにも関わらず、僕の家を訪れてくれたのです。
まるでお通夜のようでした。僕は情けなくて、そして恥ずかしくて仕方なかった。
父の言葉ですが「正直、こんな事で関わりたくないんだ。何故俺たち(父と母)を巻き込むのか」父は心底、理解に苦しんでいました。
妻は何かあると、時間を問わず僕の両親に電話をします。
そして一方的に話した後、僕に電話を代わります。
義両親に言われていたのでしょう。出て行く時は必ず親に電話をしなさい、と。
夕食は3人で家の近くで外食にしました。


その時、妻から電話です。
「銀行手帳取りに行くから、全て用意しておいて!文句はないわね!」
彼女は鍵を家に忘れていたのです。
「ちょっと待って。話をしよう。」
「すぐ着くから。用意しておいて」
電話が切れました。


両親に話しました。
そして僕は家に一先ず帰るから、少し待っていて欲しいと言いました。
父は言います。「俺も行く。散々巻き込んでおいて一方的過ぎる。出て行く理由を俺も知りたい」
断る気力は、僕にはありません。


父と2人で家に戻りました。家はすぐ近くです。走って戻ります。
妻が5分程して車で家にきました。駐車場で待っていました。
妻は父を見て少し驚いたようです。
挨拶も何もなく無視して通り過ぎます。父は彼女の顔を見て驚いていました。
目を見開き般若のような顔をしていました。僕のよく知っている顔です。
後に父は言いました「まるで別人のようだった。あんな顔をするなんて想像もできなかった」


僕は追ってを家の扉を開けました。
彼女は無造作に部屋に入り、色々詰め込んだ袋を持って家を出ようとしました。
僕は彼女の前に立ち「話しがしたい」と言いました。
「話なんかするかっ」
僕は彼女の腕をつかみました。(決して強く握っていませんよ)
その瞬間!
「らぁ〜 ちぃ かぁ ん きんだぁ 〜 っ !!!」
驚くほど大きな声で叫びました。
(最初、エックスの紅?と思いました。ほんとにそんな感じでした)
一瞬何を言っているのか分かりません。
「拉 致 監 禁ッ! 拉 致 監 禁ッ!拉 致 監 禁ッ!」
狂ったように連呼します。


僕は驚きません。日常ですから。
ですが父は違いました。顔面蒼白です。血の気が引いてました。
父が言いました「いい大人がそういう事を言うもんではないよ。少し静かにしなさい。」
「拉 致 監 禁ッ! 拉 致 監 禁ッ!…」
拉致監禁ラップがリズムにのってきたところで、おもむろに電話をかけはじめました。
「お父さん!! ぴよぴよ君とお父さんに拉致監禁されている!!」
そして何故か僕の父に電話を寄越します。
父が電話に代わりました。


僕は彼女を通しました。
こうなってしまっては、もうどうしようもありません。
父は電話で義父と話していました。
もう僕はどうでも良くなりました。

後に父は僕に言いました。
「あの時は、あのような子と一緒に暮らしていたのかと、正直、驚いた。俺は絶対に無理だ」

離婚の理由20

3度目の妻の家出は突然やってきました。
この日を最後に、離婚に至る長い別居生活が始まりました。

金曜日で仕事を終えた後、社長に声をかけられ、飲みに行くことになりました。
正直なところ、次の日に両親が来る予定だったので断りたかった。
また、妻が何を理由に家を飛び出て行くか分からなかった為、極力、妻に負担をかけるような事はしたくなかった。

しかし付き合いを断り続ける訳にもいきません。
彼女に電話をして許しを得て飲みに行くことにしました。
そして夜中の12時に帰宅しました。

静かにリビングに入ります。
すると寝室から「ご飯、冷蔵庫に入ってるから」と声が聞こえました。
夕飯を済ませます。
食べ終わった後、寝室をそっとあけて「美味しかったよ。ありがとう」と声をかけました。
「いいよ」返事が返ってきました。

僕はリビングに戻ります。
その時、会社の後輩からメールがきました。
「日曜日に車を一緒に見に行きませんか」
そのような内容のメールだったと思います。
車好きの後輩に前々から見に行こうと誘われていたのです。

返事を早く返したかったので、寝室を静かに開けて、彼女のところへ行き
「会社の後輩から誘われたのだが行ってもいいだろうか」と小さな声で聞きました。
彼女は子どもが生まれてからも、友人と遊びに何度も行っており、
先週もコンサートに行っていました。僕もたまになら許されると思いました。

彼女は突然怒鳴りました。
「うるさいっ。私は寝ているんだ!!!」
堰を切ったように怒鳴りだし、僕を罵倒し、ベッドを揺らしました。
息子が泣いて起きました。
そうすると「息子も起きた。お前のせいだ」と叫びます。

僕の目前で起こっている事に不思議な感覚を覚えました。
今日、何かが起こるのは、予想はしていたのです。
そして予想通りの行動を起こす彼女を見て、冷めた想いで、
今起きている事を遠いところから見ているような感覚に襲われます。

明日は僕の両親が来る日です。
僕は夜遅くまで酒を飲み帰ってきた。
仕事の延長とはいえ、僕を責めるには正当な理由に成り得る。
出ていくのタイミングにはちょうど良い。
ああ、今日出て行くつもりだ、と。

彼女は僕の親に電話をかけました。
出ていくことを伝えます。
次は自分の両親に電話です。
僕は状況を説明します。
起こった事を起こったままに説明します。
「とにかく家に帰してくれ」
義父はその一点張りです。
「騒ぐのはご近所さまに迷惑だ!もう帰してくれ!」
「先ほどから騒いでいるのは彼女で、僕が落ち着かせますから」
「タクシーでいい。帰してくれ!金か!?金なら払う!」
彼女は騒いでいます。
「家に帰してくれ。頼むから!」
「先ほど説明した通り、帰る理由がありません。私が何かしましたか?」
「君の話はもういい。どうでもいいんだ!とにかく帰してくれ!」
電話口で義父に騒がれ、背後で騒ぐ彼女に痺れをきらして言います。
「静かに話しましょう。いいですか。お父さんも落ち着いて話してもらえますか」声を細めて話しました。
後日、この「小さい声で話した」事について義父から僕は責められました。
小さい声で話した。それが何だと言うのでしょう。

一旦実家に戻したものの、離婚する理由が見当たらない。
離婚の理由をつくる為に娘を戻したのはいいが、結局、離婚の理由も見当たらず、
娘をまた家に戻す。あまりに理不尽過ぎる…。

その日はなんとか宥めて一夜を過ごしました。
次の日の朝、彼女は子供を連れて出ていきました。

話し合いの際、本題は話さず言動の上げ足取りに終始する。これが彼らの言動です。
彼らは本題に入れば自分たちに都合が悪いのは分かっているのです。
両親と仲良くできないから離婚するでは、体裁が悪いのでしょう。
それを正面きって言える訳でもない。

義両親は親戚から孤立していました。
義母は親戚の人格を否定する事を言っていました。
僕は否定も肯定もせず黙っていました。
彼らは自分達が正しくなければならないのです。

彼らの言動から分かった事は本題は「両親は絶対であり、逆らうな」という事です。
しかし彼らはその本題には触れません。
「自分で考えろ」といいます。そして話を反らし続けるのです。
その過程の中で、責めるに正当な理由を探し、ひとたび隙をみせるとそこに付け込むのです。
論のすり替え、という事です。
そして論理的な話し合いを避け、その論を展開させず、論自体を破壊し困惑させるのです。
気をつけてください。こういう論法を使う人は碌でもないです。
そして実家依存症の人間は、この論法を使います。

またヒートアップしてきました。。。この後の話しは次回にします。

離婚の理由19

妻と子の生活の2ヶ月間、平穏だったと思います。
ただ僕自身は地雷原を注意しながら歩いているようでした。

そんな生活の中、1ヶ月を過ぎたある日、
僕の両親と僕の家族で旅行に行きました。
前日は少し不安がありました。彼女は僕の両親と合う日、必ずといって家を出ます。しかし、旅行に行くことができました。楽しかった。そして少しだけ安心しました。

両親は息子と数回程しか会っていません。息子と会ったのも、この旅行が最後でした。

息子が生まれて暫く、父も母も孫を抱かせてもらえませんでした。
彼女の言い分は、衛生面で不安があったから、です。確かにそうかもしれない。しかし、僕は知っています。義父と義母は産まれたその日から抱いていました。
父がゆりかごを覗きこんだ時、そのゆりかごを引いたこともあります。
生後半年を過ぎても、彼女は、子を抱いていた時、僕の母が息子の指を触ったら、黙って引き離したことがあります。

「離婚する理由を作りに帰ってきた」彼女の言葉です。
彼女は癇癪を起こしますが、僕は慎重に対処し続けました。
どんな言動が離婚に直結するか分からない毎日でした。

彼女が出て行く1週間前でした。
僕はそろそろ彼女は出て行くだろうと察していました。
彼女は実家に頻繁に帰っていたようです。
おかしな話ですが「そろそろ帰ってこい」と義母に言われている予感がありました。癇癪が増え自分勝手な言動が増え続けていたのです。
ある日。スーパーに買い物へ行った際、僕は息子を車であやしていました。ふとその時、息子と二人の写真を撮ろうと思いました。
これが最後の写真になるのではないか。
携帯をかざし、僕は息子と写真を撮りました。
しばらく考えて、消しました。
そして何気に車内の写真を撮りました。
息子の目線の先、僕の目線の先です。
息子と彼女の全ての写真は処分しましたが、
ただ、今でもその写真だけ携帯に残っています。

それから1週間後、彼女は唐突に出ていきました。
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